2020.02.12

2020.02.12
さとみ

ヤスオ兄さんへ

語学学校で感じた、セルビアの複雑さとコソボ紛争

語学学校(ベルリッツ)に通ってたという手紙を出したんだけど。授業中にセルビアの複雑さを感じることがあって、とりあえず避けては通れないコソボ紛争の話でも…。
セルビア・ベオグラードに行くって言ったら「え?大丈夫?安全なの?」って言われることが多かったんだよね。それは、きっとコソボ紛争の記憶があるからかな?と。兄さんはどこも危険だと思ってるだろうけど、特に紛争があったところなんて!って感じだったもんね。

20年前の紛争の跡が今でも…

詳細は調べてもらうとして。紛争時にNATO軍が介入して、1999年にベオグラードはNATOの空爆を受けたのね。

ベオグラードの空爆ビル
空爆通りにある、空爆ビル。空爆通りって名前が…
ベオグラードの空爆ビル
20年以上経った今でも、当時の激しさが分かる
ベオグラードの空爆ビル
向いのビルも当時のまま残されている

どちらにも言い分はあるのが戦争、紛争ってのは大前提にあるとして。セルビアの人の中には、NATOに対していい感情を抱かない人もいる。そりゃ、自分の街を壊されたら、誰だっていい気分しないからね。NATOがアメリカを中心とした軍事同盟だから、アメリカに対して、いいイメージ持ってない人も多いのかな~って感じだったんだけど。

やっぱり気にしてることがあるのかな、その1

語学学校に通ってたときの先生は、たぶん、アメリカ人だったと思う。というのも、出身地の話をあんまりしなくて、あるとき、ちょっとだけアメリカのシカゴ出身なんだけどセルビア人よ、ってさらっと言ったんだよね。誰もそれに対して何も言わなかったから、違う話題になったけど。学校に通ってる人は英語勉強しようってくらいだから気にしないのかもしれないけど、通ってる人の親や兄弟がそれを聞いたら…となると、あんまり大きな声では言えないのかな?と。私の思い過ごしかもしれないけど。

やっぱり気にしてることがあるのかな、その2

あとは授業で「〇〇人になったつもりで受け答えしてみて」って先生に言われて、とある国の人になったつもりでって言われた瞬間に、教室が静まり返ったよね。ここは空気を読む日本人として、あ、これ私も何も言っちゃいけないなって分かりました。その国の人にならなくても、なったつもりでも嫌なのね。そうなのね。先生も「ぁあ」って感じで即、違う課題に変えたけど。私が陽気なイタリア人になったつもりと言われてもできない~、ってのとはわけが違う重さです。

基本、和気あいあいと授業が進むので、この一瞬はっとした空気が流れるとギャップがすごいというか。

現状の街並みと、2013年のGoogleのストリートビューを見比べてみる

紛争から20年以上経って、街は復興というのか、開発というのか、新しいビルや建物がどんどん建ってるよ。今とGoogleのストリートビューを見比べると、全然違う街並みになってたりする。

ベオグラードの空港シャトルバス停
現在。奥のガラス張りの建物はヒルトンホテル
ベオグラードの古い街並み
2013年撮影のGoogleストリートビュー。現在は左奥にヒルトンが建っているが、この当時はない
ベオグラードのスラヴィヤ広場
現在のスラヴィヤ広場。モニュメントや花壇があって広場らしい雰囲気になってる
ベオグラードの昔のスラヴィヤ広場
撮影角度が違うけど、 2013年のストリートビュー。広場全体も2013年当時から整備されたことが分かる

住宅街でもこんな感じで、現在とストリートビューで見比べると紛争後から変化していってることが手に取るように分かるよ。でも、人の気持ちはなかなか複雑なままなのかもな~と。それにコソボ紛争以外にも、セルビアは激動の歴史があって、侵略されたり、独立したりを繰り返してきたから、思うことは色々あるようです。
※情報は2020年2月現在

さとみ
さとみより

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